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【東京都連合会】活動報告

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京都府「柳原銀行記念資料館」訪問

 都連五十嵐会長代行、舩渡教育対策委員長は3月27日京都市の柳原銀行記念資料館を訪問、施設の見学に伺いました。

 被差別部落において、資金を調達することは大変難しい。ところが、被差別部落の住民によって設立された日本で唯一の銀行がかつてあり、地域の皮革業者等に融資を行い、産業の育成・振興に大きく貢献した他、その利息を地元の小学校の運営資金や道路建設資金に充てるなど、自力で差別を撤廃してゆく模範とされたのが京都・崇仁地区にあった「柳原銀行」で、これを保存・展示しているのが『柳原銀行記念資料館』です。

 柳原銀行記念資料館は、京都駅から東へ徒歩10分程の下京区にあり、銀行破産後に商店等に転用されていた今の資料館建物は、1907(明治40)年に竣工されたもので、明治期の銀行スタイルを残しつつ、明治後期の洋風木造建築物という大変重要な建物であることから、地域のまちづくりのシンボルとして保存することを決定、道路拡幅工事に伴い1994(平成6)年に現在地に移築移転、京都市登録有形文化財に登録され、翌1997(平成9)年に『柳原銀行記念資料館』として開館しました。
 破産後は商店として使っていたため、カウンターや照明、金庫室等は同時期の銀行を参考に復元再現させ、資料館として当時を蘇らせました。
 一階は、銀行営業室や受付カウンター、金庫室などがある銀行スタイルを活かしつつ展示がされており、金庫室はビデオコーナーとして活用されています。展示コーナーでは、柳原銀行がいかに必要であったかということについて、地域に根ざして産業を支えることに想いを馳せた明石民蔵をはじめとする志士達の紹介、明治・大正期における地区の発展に関する丁寧な解説をとおして示されていました。同資料館は木造建築の粋が込められ「建物」としての価値も高く、銀行・建物の両方の資料館としての役目を果たしています。  対して二階は地区の歴史等の常設展示と、年各一回の企画展・特別展が行われています。常設展示の中でも「不良住宅改良事業計画概要図」と「東七条地区整理事業計画図」が一際目を惹きました。
 「不良住宅改良事業計画概要図」(1939年)は、戦時下に作成された崇仁地区における事業計画図で、これまで行われてきた道路整備・下水整備の他、改良住宅の建築等の整備を行うためのもので、他の地区では着手されておらず、当時としては画期的な計画だったそうです。

 同資料館は、寄贈された貴重な資料をはじめ、地域の歴史、文化、生活等に触れる展示場として、また、同和問題をはじめとするさまざまな人権課題への正しい理解と人権意識の普及・高揚を図る啓発施設として活用されており、行政の同和研修はもちろん、京都の小学校の教員の研修、部落問題や社会学を学術的に学んでいる方、さまざまな地域の大学生・高校生、朝鮮学校等の民族学校の方、全国各地の同和問題推進協議会などの団体、洋館に興味がある方、近隣を流れる高瀬川の歴史散策での訪問、京都のディープな場所を散策する方等、日本人に限らずさまざまな国の方まで多岐に亘る方が来館されるそうです。
 資料館が立地している崇仁地区には、2023年に京都市立芸術大学が移転されることが決定されていて、同資料館は大学の敷地の中で活動を続けていくそうです。そして、今は街が空洞化していますが、今後大学が地域とスクラムを組んで、いずれ人々が帰ってきて歴史を掘り起こし、発信してゆくことによって地区に活気が戻るよう芸大生と共にやってゆけるように、一層資料の収集・保存に努めてゆくということです。
 地域のシンボルとして今後も活動を続ける柳原銀行記念資料館、京都を訪れる際は、是非とも訪問することをお勧め致します。
〈本見学の詳細は、都連発行機関紙「東京 あけぼの」令和2年5月号に収録されています〉

明治後期の美しい洋風木造建築が一段と目を惹く「柳原銀行記念資料館」

資料館の説明を受ける五十嵐都連会長代行(写真:右)

パネルを多数展示し、わかりやすく掲示されている

カウンター上には資料が多数並べられている

金庫室はビデオコーナーとして活用

貴重な資料を多数展示

迫力のある「不良住宅改良事業計画図」と「東七条地区整理事業計画図」

明治期の洋風建築としての価値も高い

地区周辺には、空き地が点在している