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【東京都連合会】活動報告

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一切の暴力を用いずに御触書を空文化 ―人間の尊厳をかけて平等を求めた― 渋染一揆資料館探訪記

渋染一揆資料館の見学・研修に訪れた都連役員(写真左より、畠山副会長、五十嵐副会長、古賀会長、千村副会長、舩渡教育対策委員長)


 岡山藩(現在の岡山市)では江戸末期、天保の飢饉等による多額の借金や震災による江戸城の修理、黒船来襲による房総半島への警備派遣などにより、深刻な財政難に陥りました。それを克服するため、1855(安政2)年に『御倹約御触書』を発布し、節約・増納を求めました。しかし29項目のうち5項目は皮多身分に対する不当な別段御触書でした。
 この不当な差別を強訴という手段により、「人間としての誇り」を命がけで守るべく、粘り強く交渉を重ねた結果、一切の暴力を用いず不当な御触書を空文化させることに成功した、封建時代にあって他に例を見ない、人間の尊厳を守り抜いた画期的な闘いが「渋染一揆」です。


 江戸時代末期、岡山藩は天保以降の自然災害による凶作のため飢饉が頻発、これにより年貢の未納が増加したことによる多額の借金(藩財政の3倍)、また安政江戸地震による江戸城の修理、そして黒船来襲により千葉県房総半島の警備(千数百名の派遣)を受け持つなどにより、藩の財政は窮地に追い込まれました。
 これを克服するため、武士以外の領民に対し「倹約令」を発布、年貢の増収と差別政策の強化を盛り込み、藩の立て直しを図りました。これは、皮多身分(穢多身分のことを、地域によっては皮多身分と称した)の人々に対する分裂支配の溝を深めることにより、農民を抱き込み、藩・殿様を支えているのは自分たち百姓であるとの「御百姓意識」を目覚めさせるものでした。『御倹約御触書』は29条におよび、領民への厳しい倹約が記されていました。29条のうち最後の5条は、皮多身分に対する『別段御触書』とされ、より厳しい倹約を強いるものでした。
 別段御触書に対し、藩内53ある各村では惣寄合(村の掟を決める会議)が幾度と開かれ協議がなされました。この間、村役人は各村に対し「別段御触書」の請印を迫りました。しかしそれを受け入れる事に対しては「差別強化は働く意欲を削ぎ、年貢減少につながる」「これまで衣類等を質入れして年貢を納めてきたが、渋染や藍染の衣装を質入れしても年貢を作れない」「持っている紋付を禁止され、新たに渋染・藍染の衣装を作ればかえって出費が増え、倹約にはならない」などの意見がまとまり、「請印をせず、御触書撤回の嘆願書を差し出す」ことを決めました。しかし嘆願書を郡会所(郡政を総括した役所)へ差し出したものの、差し戻されてしまいました。これに対し協議をしましたが、村役人による請印の催促、強要が厳しくなり、次第に請印をせざるを得ない村が増えていきました。
 厳しく請印を迫られる中、神下村では逃散か強訴かを協議し、虫明(筆頭家老 伊木若狭守)への強訴を決意、53村の仲間に向け檄文を発しました。檄文には【強訴決意=命を掛けた、神下の決意】【檄文の中身=六月一三日、一五才から六〇才までの者(男)は、弁当身支度を整え八日市場河原に集結せよ!】と記されました。
 吉井川沿いの八日市場河原には千数百人集結し、虫明を目指しました。途中、役人の設けた竹垣を破るなどして進んだ後、武装した筆頭家老 伊木若狭守氏の軍勢と対峙、郡方と表方役人に対し、「別段御触書」の取り下げの確約を求め、夜を徹して交渉を行いました。翌日午後、強訴勢の代表八名が伊木氏側との交渉の場に出頭することとなりました。代表二名が別段御触書に対する人々の歎きと窮状、やむなく虫明様におすがりするに至った経緯等を詳しく述べ、最後に「何卒、御慈悲を以てエタ一同身が立ち行、田地の耕作が続けられますよう口上の通り、書付にて御伺い申上候」と、訴えました。  訴えを聞いた伊木氏代表が協議の末、「直々にからめ捕るのが本意なれども、嘆願穏やか故お上に嘆願書を取次ぎ願いの趣を上申する。この件は評定に相成るべし、一同速やかに帰村し農業大切に相守、御年貢精々上納致すべし」と、嘆願書を受理しました。
 伊木氏は、郡代の不手際を叱責した後に強訴の惣代と話し合い、とりあえず村役人の顔をたて触書に調印せよ、その運用については郡代からお慈悲の沙汰がある旨を伝えられました。これは「別段御触書」を藩主自らの手で骨抜きにしたものでありました。一切の暴力を用いずに「人間としての誇り」と「百姓としての面目」を守るとともに、渋染・藍染を着ることを強要されず、「別段御触書」を空文化させ、他の領民との平等を求めた運動が実った瞬間でした。これが、「封建制度時代にあって、他に例を見ない人間の尊厳を守り抜いた素晴らしい闘い」と評価されることとなりました。
 後にこの行動は法度を犯したものであった為、強訴の指導者十二名が入牢、内六名が獄死、一名は釈放され、残りの五名は牢内外の部落民の支援者による嘆願運動や協力者の働きかけにより、二年後に釈放されることとなりました。しかし、指導者の処分とともに、郡代や村役人に至る諸役人に対しても「お叱り・閉門・追い込み」などの処分を行い、両成敗の体裁を整えたこと、指導者には「斬首や磔(はりつけ)」などの極刑を避けていること、また嘆願運動を受けて入牢の者を二年後に釈放するなどの慎重な対応をしていることから、この強訴が岡山藩政を揺るがす大事件であり、部落民の抵抗が藩にとって軽視出来ないものであったことが窺えるものでした。  この強訴の百年後の1958(昭和33)年に百年祭があり、その際に「渋染一揆」と命名されました。

 一揆(正しくは強訴)の参加者を促す檄文を発したり、犠牲者が最も多く出た村が神下村であったことから、この地に渋染一揆資料館が造られました。岡山市では、渋染一揆についての歴史や資料を公開することを目的に、この資料館と岡山市人権啓発センターでの研修・見学会を開催しています。古賀都連会長をはじめ都連役員5名は3月、当地を研修・見学に訪れました。  見学に先立ち、事前学習として、瀬戸内市吉井川八日市河原にある「渋染一揆集結の地」に赴きました。約千五百人が集結したといわれるこの地には、『顕彰 渋染一揆』『渋染一揆集結の地』の石標が建てられています。石標には、「一八五六年(安政三年)無紋渋染の強制着服を拒否した人々の闘いをたたえます」との文が刻まれています。現在集結の地は、長船カントリークラブゴルフ場の片隅に位置しています。余談ですが、このゴルフ場は、プロゴルファーの渋野日向子選手が小学生時代から練習に励んだという有名なゴルフ場だそうです。
 午後からの研修では、人権啓発センターにて約50分の講義を受けました。岡山藩政の歴史から渋染一揆が起こった背景を含め、質疑応答を交え、研修資料と啓発映画上映を含めた、丁寧な講義をして頂くとともに、地元の方が挨拶に来られるなど、大変貴重な研修の機会となりました。終わりに、講師の方から、本日の講義で何か一つでも二つでも学んで帰って頂き、啓発に役立て下さいとのお言葉を頂きました。  研修の後、啓発センターから歩いて数分の場所にある「渋染一揆資料館」と「渋染一揆跡碑」を案内して頂きました。   資料館内は撮影禁止とのことで画像ではお見せ出来ませんが、「御倹約御触書」や「渋染・藍染着物」、「白渋張傘」など渋染一揆に関連する資料の展示の他、地元の児童や生徒による人権に関する作品も展示されていました。  資料館の隣接地には、1986(昭和61)年に渋染一揆150年を記念し建立された碑があり、石碑には「禁服訟嘆難訴記」の一節が記されています。


 強訴から六十六年後の1922(大正11)年、全国水平社が結成されました。京都・岡崎公会堂で行われた創立大会で「…誇り得る人間の血は、涸れずにあった。…そして吾々は、この血を享けて…」と屈辱と迫害に抗して闘い、「人間として誇り」を守り抜いた歴史を高く評価し、その精神を受けて行動を起こすことを力強く誓い、「人の世に熱あれ 人間に光あれ」と宣言しました。
 1965(昭和40)年の同和対策審議会答申を受けて、1969(昭和44)年から開始された「同和対策事業特別措置法」とその後の一連の同和対策に関する時限立法は、同和対策が一定の成果を挙げたとの判断から2002(平成14)年3月に、一般対策へと移行されました。一連の同和対策は、地域での道路整備や上下水道整備といった、いわゆるハード面に対しては、ある程度の成果は見せました。しかし、心理的な差別や就職や結婚に関して生ずる差別、いわゆるソフト面での差別に対しては、まだまだ解消された訳ではありません。また、近年はインターネットなどの特性を利用した匿名での差別事象は増加の一途を辿っているのが現状です。
 法失効から14年、「2016(平成28)年12月、「部落差別の解消の推進に関する法律」が施行されました。同法の目的には、「部落差別は現在もなお存在する」と明記されるとともに、「部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現する」と謳われています。同和問題はまだ解決していないのです。逆に法失効の失われた14年をどう取り戻すのか、インターネット等による新たな差別事象にどのように対峙してゆくのか、今後、より着実な運動を推し進めてゆかなければなりません。
 先人たちの「人間としての誇り」を貫いた意気、「人間の尊厳をかけて平等を求めて闘った」勇気について学び、渋染一揆に関する研修を受けたことで、同和問題解決に向け更なる奮闘をしなくてはならないと、改めて誓いました。
(本文中には、渋染一揆資料館研修資料、及び関連資料を引用している箇所があります)

岡山市人権啓発センター

啓発センター内で研修を受ける都連役員

八日市河原にある「渋染一揆集結の地」

渋染一揆資料館に隣接する「渋染一揆 百五十周年記念碑」

記念碑を見学する都連役員